2009年7月8日水曜日
大局と局所の間。
保育士採用試験:全盲女性、門前払い 受験資格満たしても--大阪市
ちょっと気になったこのニュース。
全盲で保育士資格を持っている女性は私立での仕事の経験もあるのだが公営保育所の受験を断られたというもの。
理由としては「試験は競争なので、働く条件が同じなのが前提。一部の人を特別扱いできず、点字受験の導入は考えていない」とのこと。
障害者だって普通の人と同じように過ごす権利がある!!
などと高らかにいえるほど僕は善者でもなく、もちろん権利はあるのだけれどじゃあ普通の人と同じようにできるかどうかといえば難しく、するためにはあらかじめ設備や道具の準備が必要になってくるという現実がある。
上の話も「バリアフリー=健常者と障害者の垣根がない」の状態であるとも言えてしまう。
もし点字受験を導入したらそれは受験の中身に垣根ができているといえるのではないかとのことでしょう。
不可抗力の結果である障害にはもちろん「ささえあい」があっていいはずなのですが、見返りを求めない「ささえあい」がはたして公共でおこるのかどうか…。
公立ということでいえば、例えば小学校が「老朽化で建て替えたい」という意思を示しても、行政にとってはその自治体がもつ小学校はすべて対等に扱わなくてはいけないので「では他のところも順番に」と回答するか、でなければ「他のところができないのになぜそこだけ」という回答になるのだそうです。
「ひとりひとりを考えた政治を~」なんて街頭でおじちゃんたちが話すわけですが、じゃあ一人の街角のおばあちゃんのことを考えながら法案が決められるかといえばそれはできない。
その法案は知覚できうる少数以上の複数に適応できるものでなくてはならないからです。
行政と個人の、距離のとり方はどうしたらうまくいくのか、難しいなぁと考えていました。
2009年7月7日火曜日
好きなことを職業にすること。
20代女子の「好きなコトを仕事に」! その後の現実とは?
mixiにこんな記事があったので引用。
特に上から3番目の例、これは建築でもよくあるところであるように思います
「やりたい方向性と、商業的な部分とのギャップ」(27歳/作曲・作詞家)
「自分を表現する手段として好きな曲を書きたいけれど、商業的なことを考えるとそうも言ってられない葛藤が常にあります。曲が売れなきゃ仕事にはならないし、かといって自分の曲として世に出すには妥協できない部分がありますし……」
やりたいことがある、でも人が使い、お金をだしてもらい、施主の好みもある以上そうそう好きにびっくり仰天なこともできない。
「建築は純粋芸術じゃない」といわれることの所以がここにあるような気がします。
あるいは普段の作品と全く変わらないように見えるのに、コンペの審査のときには「これはこの場所にいかにふさわしいか…」と話す建築家も、その職業が上の葛藤の中に生きていかなくてはいけないことを感じさせてくれます。
今月の住宅特集に特集で載っている建築家の内海さんは、構造大好きな建築家なわけですが、
住宅を作るときには構造形式は自分の好きな形式を採用させてもらう。
でも仕上げ、意匠の見える部分に関わるところでは、お施主さんの希望に沿って素材や雰囲気を作っていくのだとのこと。
だから内海さんの建築には決まったスタイルが無いような気がします。
でもそれは施主が違うからで、見えないところをやらせてもらったらあとは消費としてこなしているということになるのだと思います。
建築家は強引さが売りであった時代もありましたが、今はどうしていったらいいのでしょうかね。
登録:
投稿 (Atom)
