2009年6月5日金曜日
課題終了、クリクリ。
5ボタンマウス買いました。
しかもスクロールが横スクロールもできちゃうやつなのでなんかそこの部分がエロイです。
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課題が終了しました。
結果としては、案の流れとしては的確で、現実に即したものであったと思います。
しかし建築として立ち上げる作業であらゆるところに問題が生じました。
それは僕の能力の問題というより、無意識の姿勢の問題だったようです。
最後の方で、1年生の時に持っていたはずのものが今はないことに気がつきました。
知識欲が、それを得て、それを使いたい欲求に変わっていました。
それゆえに建築が意匠をまとっているように見えてもどこか分離したものになっていました。
なんか大丈夫。もう落ち着けてると思います。
今度はちゃんと、デザインというものに取り組めそうです。
建築を、また全部好きになれそうです。
そしてもうひとつ。
いろいろ肯定してみようとおもう。
「これはないな」
「いや、でももしかしたらこーこーこーありなのかも」
みたいな。もちろん頭の中でね。
それでなにか自分の価値観が変われば面白い。
朝カレーは新たな市場を開拓した。
そうですね、mixiニュースによると。
まだ食べていませんが。
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今朝のニュースで、現在日本医師会および行政で「脳死は人の死になりえるのか否か」という議論がされていて、まだ意見が二分したまま収束していないのですが採決に向かうそうです。
通常人間は脳によって支配されて動いているから、そこが動かないということはすでに人ではないのではないか、つまり「肉体を支配するもの」が命であるのか、「意思を支配するもの」が命であるのかという構図なのでしょうね。
ただ肉体に脳と同様の機能がないのかといえば、例えば自転車に乗るようなくりかえし動作をする際、慣れていないときは脳が活発に使われるけども、慣れてくると脳の活動率はさほど高くないそう。
あるいは前によんだ臨死体験の書籍では、心臓停止時、脳内の電気信号は機械では測れない(つまり起こっていないか、なにもできないほど微弱)であるのに、その際の記憶が残っているとしか考えられないことから記憶体が実は他にも考えられるのではないか、ということ。
また観念的には日本人は魂は心臓のところに宿ると考えるのに対し、モンゴルやヨーロッパ世界にいくと魂は頭やその上に浮いている(だから映画グラン・トリノではモン族の頭をなでてはいけないとされる)と考えられています。
とかとかこんなことがぐるぐるとすると脳死になったからといってバサっと臓器を切れなくなります。
でも個人的にはその臓器も、最も生きているといえる形で使われればいいと思うので、となるとより未来のある臓器移植に僕は傾いていたりします。
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