2009年10月25日日曜日

準備2 統合家


構造家・池田昌弘は僕が建築を始めるきっかけのひとつであり、
そしてその後僕が意匠ではなく構造に軸足を置いて動くようなその選択をするきっかけ、
また今の僕のアカデミックなやり方とはあるところかけ離れた思考をしていくきっかけであるとも言える。

彼は2000年ごろから自身を「意匠と構造の接続となるような仕事の人間=統合家」と名乗って活動をしていく。
現在の若手構造家のメディアへの露出、仙台メディアテーク、多くの吉岡賞など、この10年程の日本の建築やメディアの元をたどると非常に高い頻度で彼が登場する。

彼は非常に優秀で、また奇抜で、あるところ異端だった。
知る人によれば「あるときから師匠(佐々木)の影がふっと彼の中から消えた」とか
「彼は日本でセシルをやろうとした」など、さまざまな話が聞ける。

それまで一般に構造家がどのような人間として捉えられていたのかはとりあえずおいておくとして、
彼の活動を眺めているとひとつの仮説にいきあたった。


彼は意匠と構造の中間に立つ人間を育て、また自身もなろうとした。ゆえに彼の事務所の出身者の多くは意匠系出身である。
また彼は不動産を扱うことで自身の建築を自身でセールスしようとした。
彼は今年に入ってから施工会社と構造事務所の提携したような組織(詳しい内状はわからないが)を創り、
そしてこれからmisaという会社名で「空間優先の構造家を育成する」というフレーズと共に、学校としての形態を持ちながら同時に構造設計事務所であるような組織を立ち上げるところだ。


彼の活動を僕は「目に見える職能の拡張」をしようとしているのではないかと仮説を立てた。
施工も、育成も、統合も、彼は自身をあくまでも「構造家」という機軸はまもりながら他との連携を強めようとしているのではないか。
つまりは彼自身は構造家の思考を保持しながら、業務形態としての形を変えていこうとしている。


それに対してあえて今の自分の傾向を定義すれば(もちろん会社をおこしてなどいないけれど)、
「目に見えない職能脳の拡張」をしようとしていると考えられる。

それは「思考そのものが職能の領域から拡張されること」をさし、
例えば建築設計者が経済学者の考えをとりこみ、構造設計では人文学をとりこむような、
本来作業によってある程度固定化される考え方を、思考法そのものから他分野に拡張するによって
着眼や収束点をずらせないかと考えている。

池田昌弘にとっての「統合」が彼の言うとおり「意匠や構造の(業務としての)統合(連携)を強める」ことをさすのであれば、僕にとっての「統合」は「思考方法を分野ごとではなく統合(同時的に、同価値的に)して考えていくこと」であるといえる。


分野、作業としては軸を持ちながら、しかしこの「多視点」とも言える、一見ぶれながらどこかで接続して進行していくような思考の仕方は、おそらくは早くから通常では味わえないような濃い状況(あの事務所)に身をおけたこと、そしてそれからの生活のなかでまざまざと設計という仕事の「多角さ、あるところの不純さ」に衝撃を覚えたためであったからだと感じている。
僕が普段使う、「コンセプトは建たない」はここに立脚している。そしてこの体験からくるのが、前に書いた「総体としての設計」であり、今の設計の方法にあたる。

最初は今のように思考をぶらす(上で言う「拡張」)ことに抵抗を感じていたが、慣れてくるうちにそのぶれ幅のなかで軽やかに、さまざまな評価を与えることができるようになったと今は思う。

そして10代最後の夏に池田さんと刺激的なお茶をしたのはいい思い出として残っている。

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