2009年6月5日金曜日

朝カレーは新たな市場を開拓した。


そうですね、mixiニュースによると。

まだ食べていませんが。



今朝のニュースで、現在日本医師会および行政で「脳死は人の死になりえるのか否か」という議論がされていて、まだ意見が二分したまま収束していないのですが採決に向かうそうです。

通常人間は脳によって支配されて動いているから、そこが動かないということはすでに人ではないのではないか、つまり「肉体を支配するもの」が命であるのか、「意思を支配するもの」が命であるのかという構図なのでしょうね。

ただ肉体に脳と同様の機能がないのかといえば、例えば自転車に乗るようなくりかえし動作をする際、慣れていないときは脳が活発に使われるけども、慣れてくると脳の活動率はさほど高くないそう。

あるいは前によんだ臨死体験の書籍では、心臓停止時、脳内の電気信号は機械では測れない(つまり起こっていないか、なにもできないほど微弱)であるのに、その際の記憶が残っているとしか考えられないことから記憶体が実は他にも考えられるのではないか、ということ。

また観念的には日本人は魂は心臓のところに宿ると考えるのに対し、モンゴルやヨーロッパ世界にいくと魂は頭やその上に浮いている(だから映画グラン・トリノではモン族の頭をなでてはいけないとされる)と考えられています。


とかとかこんなことがぐるぐるとすると脳死になったからといってバサっと臓器を切れなくなります。
でも個人的にはその臓器も、最も生きているといえる形で使われればいいと思うので、となるとより未来のある臓器移植に僕は傾いていたりします。

2 件のコメント:

  1. いやー脳死の問題は難しい。
    一方に死の自己決定権の問題があって、一方には人間が人間であることの本質をどこに置くか(脳か肉体かなど)という問題があります。死の自己決定権を認めたとしても、人間の本質の問題にぶつかってしまいます。
    脳は大脳・小脳・脳幹の3つに大別され、呼吸器等を司る脳幹が死んだら脳死となりますが、人工呼吸器をつければ心臓を動かし続ける事は可能です。となると本質が肉体にあると考える人は納得しない。

    全員に脳死を人の死と認めさせることなんて不可能だと思います。もしそんな事が起きたら、それは特定の人間観が強制されたということだから。人間の本質はなにか、それは永遠の謎だ。僕は脳死移植に反対ではないけど。

    返信削除
  2. そもそも誰かが実際に死亡してもそれを認められない人がいるのに、肉体があればそりゃ諦めが付かない周りの状況もあるのでしょうね。

    ただ制度として決まって実施されていけば人々の観念も変わっていくのかもしれないっすね、江頭以外に見なかったスパッツを、今レギンスとしてみんながはくように。

    返信削除