2009年4月28日火曜日
構造、グリッド
構造と意匠は別物だと最近考えるようになりました。
建築という大きなくくりのなかでその重要性はかわらないのですが、
考える着眼点に決して交わらない、境界面があるように感じています。
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構造を考えるのが好きです。
構造を見ているのも好きです。
工事現場とか見ているとハァハァはしないですが一日でも飽きない気がします。
最近構造が身体に付いてくるようになってきた感覚があって、
配置した部材が踊りだすというか、ぽんとそこにあって当然のような顔で置かれる柱やブレースに鳥肌がたちます。
泳ぐように、構造を流したいと思っています。といってもゆるゆるなんではなくて、
水を得て、泳ぎ始める。重力を失ったように軽くて、しかしそこにありうべき線を通ってつながっていくような、自然な配置を探しています。
しかしそれは決して材の細さをあらわすものではありません。材を究極的に細くしていくのは上の世代でひとまず区切りであるのは確かです。
常に(通常は建築家による)描き出される線は自由であるべきで、構造はその動きを制限するものであってはならないと考えています。
水は常に形をかえるようにです。
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なかなか表現からグリットを取り除くことは勇気のいる冒険です。
現状、僕の生きてきた感覚にはグリッドの安定がしみついていて、世界もそれをベースに多くのものが決まっている気がします。
本棚の板が水平に走るのは?
クローゼットのドアが垂直にきれているのは?
そもそもなぜたわみの計算は水平状態からの変形量であるのか??
グリッドを支配しているオーダーを崩すには、それを使用しないか、あるいはグリッドを消滅させるあらたなグリッドで混ぜ込むかのどちらかではないかと思います。
グリッドとはひとつのオーダーであると同時に、オーダーを規定するものにいまやなっているのだと思います。
では建築空間にオーダーを持ち込むためにグリッド以外の方法をとることは?
グリッドの消滅がオーダーの消滅とならない方法とは?
それを最近考えています。
オーダーに変わるオーダーをさがして。
p.s.ホーキングはグリッドの引かれる平面以外の面として虚数面をあげています。それは最初のグリッドにはのらない新たなグリッドです。
p.s.2 グリッドでないことは単純に他の幾何学を使うということではありません。それ以外のルールやオーダーです。
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essay
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